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新潟日報 9月9日号 五頭からのたより『実りの季節 米一粒に感謝』

五頭のふもとの田んぼでは稲穂が実り、まるで黄金のじゅんたんが敷き詰められているかのようです。
村杉温泉街を出て、間もなく稲刈りが本格化する田んぼを横目に車で走ること5分。なだらかな坂道を登りきる手前に神社がひっそりとたたずんでいます。この神社は「旦飯野神社」(あさいいのじんじゃ)といいます。西暦三百年ごろ、誉田別尊(ほむたわけのみこと)(応神天皇)が奉られ、391年に応神天皇の御子へ献米した際に、御子託によってその名前が付けられたという説が残る由緒ある神社です。
旦飯野神社の「旦」は太陽が昇る様子を、「飯」はお米を、「野」は田畑を現しているそうで、ここが阿賀野市笹神地区で初めて稲作が行われた場所だといわれています。
 秋になれば黄金色の風景は当たり前のようにどこでも目に入ります。ですが、何にもないこの里を開拓するのに神主自らが山に入り、民百姓と一緒になって地をおこし、切り開き、農耕を広めていったのだと今の神主様が教えてくれました。
 民百姓は土地の宝といわれ、彼らが力を合わせて作り出す米一粒がみんなの財産だった時代の話です。
 毎日食べているおいしいごはん。私たちにとって主食であり、いのちの源です。豊かになってどこからでも食材が入る時代に、あらためて考えさせられる話しでした。
 何不自由ない食生活が送られている今日。お米をつくるためにどのような歴史があったのか。どんな手間がかかって、どんな家庭で私の元まで届いているのかなんて、考えたことはありませんでした。
 旦飯野神社からの帰り道、私が小さい頃、「お米の中には神様が住んでいるんだよ」と祖母がよく話してくれたことを思い出しました。ごはん茶碗にくっついている最後の一粒まで食べなければ神様に申し訳ない、バチが当たるのだと。
 その言葉はきっと、神様を介して、耕作している農家のみなさんへ感謝の気持ちを表す言葉だったのではないかと思うのです。
 もうすぐ新米が届きます。食料や資源の高騰で、お米や旬の食材が見直されているそうです。
でも、「食」や「農」について、もっと興味を持つ必要があると感じるのと同時に、米一粒に感謝する心を伝えていくことも大切な文化だと思いました。

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