ご挨拶

自然に包まれた
離れの宿

当館は昔のスタイルそのままの離れの宿です。
ご案内は直接離れのお部屋へ。
朝食も夕食もお部屋にご用意し、
チェックアウトの手続きもお部屋で済ますことができます。
誰にも気を使うことなく、安心して自分たちだけの時間を過ごすことができます。
過度なおもてなしはいたしませんが、お客様の時を大切にしております。
どうぞごゆっくり自然と歴史の空間を体感してください。
あなたにとって良い滞在でありますように。

環翠楼の歴史について

HISTORY

開湯よりおよそ700年。
村杉温泉は全国有数のラジウム温泉です。
建武2年(1335年)、足利家の武将だった荒木正高が戦乱を逃れてこの地に辿り着き、
薬師如来のおつげによって温泉を発見したと言われています。

当宿は江戸末期よりこの地で温泉宿を営んできました。
当初の宿名は「六蔵旅館」
館主代々襲名してきた「六蔵(ろくぞう)」という名をそのまま宿名とし、
“㊅(丸六)さん”や“六蔵どん”と呼ばれ、多くの人から親しまれてきました。

蔵はそもそも、永きに渡って大切なものを保管するところでありますが、
六蔵旅館が所有する六つの蔵には宝物などなく、お客様の為に使われる品々が保管されていたそうです。
六蔵の願いは永きに渡ってお客様から愛される宿でありたいということでした。

大正時代に入り、御歌会の点者である千葉胤明(ちばたねあき)氏が当宿を訪れた際、
宿の風情を「緑に囲まれた館」(翠に環まれた楼)と読み、
「環翠楼」と命名され今に至ることとなります。

春は山野草、夏は鮮やかな緑、秋は錦の紅葉、冬は墨絵の世界と
四季折々の美しい顔を見せてくれる庭園、
大きな森に囲まれた明治・大正・昭和・平和、そして令和へと大切に守られてきた建築物、
初代六蔵の想い。
さらなる100年へと受け繋いでいきたいと願っております。

千葉胤明について

CHIBA TANEAKI

佐賀藩士で桂園派歌人の千葉元祐の長男。名は胤明、号を春翠と称しました。
高崎正風に和歌を、書を長三洲に学んだ歌人で、明治25年御歌所に入り、明治41年に御歌所寄人となり、
『明治天皇御集』の編纂委員で帝国芸術院会員。
「御歌所寄人平朝臣胤明謹書」の下に、白文の「御歌所寄人」、朱文の「臣平胤明」の落款印が押されています。


元治元年6月11日(1864年7月14日)-昭和28年(1953年)6月25日
歌人、日本芸術院会員。肥前佐賀出身。1881年長野県佐賀中学校卒。

1884年佐野常民に師事、竜地会事務職に就く。
1885年高崎正風に師事、和歌を学ぶ。1888年農商務省御歌所勤務。
1908年御歌所寄人。1916-1919年明治天皇御製編纂に従事。
1936-1944年歌会始点者。
1937年帝国芸術院会員。
1946年従三位。

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