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新潟日報 7月22日号『五頭からのたより』地域に愛され続けた寺湯

長い年月、ひっそりとたたずむ神社やお寺、古い民家、そして天まで届くような太い樹木。それらに手を当てると、長い年月を刻んできた鼓動とぬくもりに包まれるような感覚になります。
私が育ったこの旅館も明治からの時を刻んでいます。木造建築が持つ、どこか懐かしく、心落ち着いたにおい。ゆとりのある間取りや細かい細工の建具。私の知らない間、どんな人たちを迎え、そこにどんな物語があったのかを考えると心惹かれます。
新しいものはいくらでもつくれますが、どんなにお金を掛けても、今から古いものをつくることはできません。「歴史」とはお金では変えない長い歳月の積み重ねではないでしょうか。
五頭温泉郷の一つ、出湯温泉には、809年に弘法大使が来村し、地に杖を突いたところ、お湯が沸いたという伝説が残っています。本件で最も古い温泉の始まりといわれています。
湯が沸いた場所は約1200年経つ今も、出湯の華報寺の境内に寺湯として残っています。かつて、布教の為にあったお風呂は、寺を訪れる人々の心と体を清めました。
寺湯の周りには次々と宿坊ができ、時代とともに湯治宿、旅館へ変わっていったのです。
このような温泉街の形と寺湯自体が残っているのは、全国的にも珍しいことだと、地元の方が教えてくれました。
華報寺のぬるめの湯は、暑さで疲れた体をゆっくり癒してくれます。
十人入ればいっぱいの浴槽の真ん中には、小さな穴が開いています。
その穴には弘法大使がいらっしゃるのだと、地元の方がありがたいお話しをしてくれました。お湯が噴出しているので、その穴を覗き込むことはできないのが残念ですが・・・
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歴史あるものは、ただそこにたたずんでいたから、今まで残っていたのではありません。
この何気ないお風呂がなぜ今まで残っていたのか。きっと価値を見出し、愛し、そこに携わる地域の人がいたからだと思います。
昔からこの地に代々住んでいる人々や、檀家さんたちの思いがあったからこそだと思います。
朝、出勤前の一風呂や畑仕事で汗をかいた後の一風呂、昼寝の後の一風呂、一日の終わりにゆっくりの長風呂。生活の中でのよりどころ、心のよりどころとして、地域の人に愛され、今もこのような形で受け継がれています。
今日も寺湯に人々が訪れ、さまざまな物語が語られていきます。
時代は変わっても、この先ずっと心を通わせる寺湯であってほしいと思います。
歴史は時間だけではなく、心も織り込んでいくものですから。
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写真説明
華報寺の寺湯の中で体を伸ばす入浴客たち。寺湯に入ると、思わず「は~、極楽・極楽」と口にでることも。仏の道に通ずる何かがあるのかもしれません。
出湯温泉街を見守るように佇む華報寺。寺湯に入った後、ひんやりとした空気が流れる境内で心を清めるのもいい。

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